犠飛(犠牲フライ)とは、無死か一死で外野へのフライまたはライナーによって、
走者が得点した場合に記録されます。打者に打数は加えられず、打点がつきます。
・得点ではなく、二塁から三塁、一塁から二塁や三塁に進塁しただけでは
犠飛になりません。
・野手が捕球できなかった場合でも、仮に捕球していた場合に得点できていたと
記録員が判断した場合は犠飛になります。
・ファウルの打球を捕球した場合でも犠飛になります。
・外野手ではなく、外野へ回り込んだ内野手が捕球した(し損ねた)場合でも
犠飛になります。内野の飛球で得点した場合は犠飛になりません。
・捕球後に野手がもたついて、三塁走者以外が得点した場合でも、
犠飛が記録される場合があります。
◇ 大リーグでの犠飛の変遷
・1889〜1893: 犠打が定義され、これに犠飛が含まれた。
1死の時に打者が外野フライかゴロを打ってアウト(失策で生きた場合を含む)に
なりながら走者を進塁させた場合に記録(無死の場合が含まれていないことに注意)。
・1894〜1907: 犠打の定義が変更され犠飛はなくなった。
無死または1死でバントで走者を進塁させた場合だけに記録。
また、犠打は打数に含まれないことになった。
・1908〜1925: 打者のフライが捕球され走者が得点した時、
打者に犠飛が記録され打数には加算されない。
・1926〜1930: 打者のフライが捕球され、いずれかの走者が進塁した時、
犠飛が記録され打数には加算されない。
・1931-1938: 犠飛を記録しない。
・1939: 走者が得点した時、犠飛が記録され打数には加算されない。
・1940-1953: 犠飛を記録しない。
・1954-1974: 走者が得点した時、犠飛が記録され打数には加算されない。
ただしフェアの飛球に限る。
・1975- : 外野フライで走者が得点した時、犠飛が記録され打数には加算されない
ファウル飛球でも OK。
◇ 日本プロ野球での犠飛の変遷
・1939.4.21 まで: 犠飛なし。
・1939.4.22-1940: 犠飛あり。初めて適用されたのが1939年5月5日か?
・1941-1953: 犠飛なし。
・1954-1960: 犠飛あり、ただしファウルフライ不可。
・1961- : ファウルフライも可。