野手4人、投手4人は不可。野手3人投手1人、野手1人投手3人、野手2人投手2人は可。
6月30日までです。
日本人ですから、当然外国人選手には数えません。
入団当時の規定では、日本に5年在住し、その間に日本の教育を受けるか 教育を受けて5年以上経過することとなっていたため、 大学卒業後に1年間中日の練習生として過ごした後で中日に入団。
FA資格を取得し、現役最後の1997年に西武で日本人選手扱い。
近鉄-巨人でFA資格を取得し、2005年から日本人選手扱い。
高校3年間在籍後に2002年秋のドラフト会議を経て中日に入団。 2004年から日本人選手扱い。
各球団が希望選手30名以内の名簿をコミッショナー事務局に提出。 1位から12位まで順位をつけて記載し、他球団とダブった場合抽選。 外れた場合は自球団の名簿順位に従い選手を指名。 12球団各1名の指名選手がそろったところで第1次選択終了。
第2次選択は提出名簿に従って下位球団優先指名、 一巡後逆戻りで上位球団から指名。
1966年は年2回
社会人と国体に参加しない高校生が対象。
国体出場高校生と大学生が対象。
全球団が予備抽選して指名順位を決め、指名を行ない、12球団目から折り返し。 1974年からは6人以内。
各球団が希望選手を1回毎に提出。他球団と重複したら抽選し、 外れたら下位球団優先で選手を指名。 1980年までは4人以内、1981年〜1990年は6人以内。
希望球団を逆指名してもらい希望された球団が指名。 重複した場合は、1)選手の希望優先 2)指名順位で交渉権を決める。
1995年から一部の高校生選手の進路調査を加える(逆指名なし)。
会議前に「自由獲得枠」として社会人、大学生選手を2名まで獲得できる。 使用した自由獲得枠によりドラフト3順までの指名権に違いがある。
重複したら抽選(全て決定するまで繰り返し)。
ただし2順目と3順目は共に指名権のある球団の下位から。
自1 ○ ○ -- 会議前 自2 ○ -- -- 会議前 1順 × × ○ 重複指名抽選 2順 × ○ × 下位→上位 3順 × × ○ 下位→上位 4順 ○ ○ ○ 上位→下位 5順 ○ ○ ○ 下位→上位 (以下交互繰り返し)
1回目は高校生ドラフト、2回目は大学生・社会人ドラフト。 さらに2次ドラフトとして育成ドラフトが行なわれる([Q3-5]参照)。
大学社会人ドラフトの希望入団枠、高校生ドラフトの1位指名権を行使するかどうかで その後の指名順位に違いがある。
(1) 高校生ドラフト
重複したら抽選し、外れたら下位球団優先で指名。
(2) 大学生・社会人ドラフト 「希望入団枠」として社会人、大学生選手を1名まで獲得できる。 行使するかどうかを高校生ドラフトの前までに申請。 選手は大学生・社会人ドラフトの前までに指名。
高校生ドラフトの1順目指名を使用しなかった球団が下位球団優先で指名。
高校生 1順 ○ -- ○ -- ──┐抽選、外れは下位→上位 2順 × × ○ ○ ←┐│下位→上位 3順 下位→上位 ││ 4順 上位→下位 ││ (以下交互繰り返し)││ ││ 大学・社会人 ││ 希 ○ ○ -- -- ─┤│会議前 1順 △ △ × × ←┤│下位→上位、希望枠の入団が決まらない球団のみ 2順 × △ × × ←┴┘下位→上位、希望枠の入団が決まらない球団のみ 3順 下位→上位 4順 上位→下位 (以下交互繰り返し)
「新規登録後2年間(1977年から高卒3年間)その選手と選手契約を締結しない」
「日本の学校に在学し、または在学した経験をもち、いまだいずれの球団とも 選手契約を締結したことのない選手」
「日本の学校に在籍したことがなくても国籍が日本なら」が加わる。
「新人選手でもその球団と雇用関係にあった場合は指名できない」 これにより、球団職員として採用->ドラフト指名ということが出来なくなる。 過去にこの例は多数あり、最近の有名な例では 1981年伊東勤(西武1位)、 1982年佐藤誠一(日本ハム2位)、1988年中込伸(阪神1位)、大豊泰昭(中日2位)、など。
ドラフト会議の翌年1月末日まで。(1997年までは高校生は翌年3月末日まで)
江川選手は昭和52年にクラウンからドラフト1位指名を受けていましたが、 入団しませんでした。しかしこの交渉権は昭和53年当時は翌年のドラフト会議の 前々日までが有効となっていました。 (なお昭和53年のドラフト会議前にクラウンから西武になっていました。)
昭和53年のドラフト会議前日に、巨人が江川選手と契約を結んだと発表しました。 巨人はドラフト前日は、どの球団も交渉権を持っていないから自由に交渉可能 と解釈したのです。
鈴木セ・リーグ会長は、次のように見解を示し、この契約を承認せず却下しました。 「交渉権の有効期限をドラフト会議の前々日としているのは、ドラフト会議 前日はその準備にあてることを想定したもので、入団交渉をする日ではない。 また交渉権を持たない球団が交渉できるという意味でもない。 さらに江川選手は自由契約選手でも、ドラフト会議前日にドラフト外での 入団交渉ができる選手でもない。ドラフト会議を経て入団交渉をすべき。」 巨人側はこれを不服として提訴。その年のドラフト会議も欠席。 これを受けた当時の金子コミッショナーの裁定は、巨人側の提訴を棄却、 巨人との契約は無効、ドラフト会議で1位指名した阪神の交渉権が有効としました。
しかしその直後、巨人と阪神に対してトレードの案を示し、両チームがこれを 受け入れて、江川投手は一旦阪神と契約、巨人の小林繁投手とのトレードに よって巨人に入団となったのです。 ([O2]も参照)。
その後規定が現在のものに変わるまで「空白の一日」は残っていましたが、 この事件が前例となったためにこの日を強引に利用する球団はありませんでした。
プロ入りせず社会人野球に進んだ場合は3年後。
プロ入りせず社会人野球に進んだ場合は2年後。
また、オリンピックのため指名凍結選手に指定された場合は、上記の制限が 過ぎた後でも、オリンピックが終了するまでドラフト対象になりません。 逆に、社会人野球に進む前から指名凍結選手に指定されていた場合は、 オリンピックが終了すれば、上記の制限前でもドラフト対象になります。
その他は翌年に指名可能です。ただし、前年に指名した球団が再び同じ選手を 指名する場合は、その選手の同意が必要です。それでもその選手が指名された 球団に入団せず、次の年以降で連続して指名を待つ場合は、前々年以前に 指名した球団もその選手の同意が必要になります。
育成ドラフト(2次ドラフト)は通常のドラフトの後に行なわれ、 2005年は高校生は対象外。 指名順は1順目が下位球団順、2順目が上位球団順で以降繰り返し。
(支配下選手から変更されていた選手は1年以内)
他球団が指名することもできるが、所属球団に優先権あり。
これ以降でも、ウエーバーによる選手の移籍は可能です。 球団が契約権を放棄してウエーバー公示をし、獲得希望球団が現れれば、 下位球団優先でその選手を獲得できる、という制度です。
希望球団が現れなかった場合、大リーグでは自由契約になります。 日本プロ野球でも自由契約になるのですが、そのシーズン中に他の球団との 交渉ができないという制限があります。
原則として、選手から契約解除を申し出る、または契約更新を望まない等、 選手の意志によるものです。 現役に復帰する場合は原則として最後に所属した球団へ復帰することになります。 他球団に移籍する際には最後に所属した球団の了解が必要です。
球団が選手の契約を無条件に解除するものです。 他球団に移籍する際には最後に所属した球団の了解は不要です。
決められた条件を満たした選手に与えられる資格で、選手の意志で球団を 移籍できる権利です。FA選手の規定は[Q3-8]を参照。
不品行、野球規則やリーグのアグリーメントに違反した。 停止期間が終了すれば復帰できる。
選手の個人的理由によって野球活動を休止した。
他球団との契約に関する交渉や、他球団のための試合や合同練習などを行なった。
敗退行為に関係したり、所属球団にかかわる賭けをした。 期間は1年または無期(いわゆる永久追放)。
出場選手登録日数が9シーズンに達すると、FA資格を取得できます。 (1996年までは一律10シーズン、1997年から2002年まではドラフト会議で逆指名して 入団した選手は10シーズン、その他は9シーズン)
1シーズンの数え方は以下の通り。
その年を1シーズンに数える。145日を越えた分は切捨て。
それらの145日に満たない年の日数を合計して、145日ごとに1シーズンと数える。
以下のどちらかを、移籍元球団が選択します。
FA宣言をした選手数によって変わります。
出場選手登録日数が4シーズンに達すると、再びFA資格を取得できます。 1996年までは3シーズンだったので、1997年は移行措置として 1994年にFA宣言した選手は3シーズンで宣言できることになっていました。
相手側のコミッショナーを通して身分照会をする。
自由に契約が可能。
日本のコミッショナー、(旧)所属球団の承認が必要。 移籍を認めた場合、今後は以下の通りに処置される。
現役選手が所属球団の承認を得て移籍する場合の移籍先チームを 大リーグ30球団の入札により決定する方式。期間は11月1日から翌年3月1日まで。 最高入札の金額を所属球団が受諾し、選手が契約に合意すれば移籍が成立。
大リーグの選手は、海外への移籍を拒否する権利がある。
投票資格は、新聞社、通信社、テレビ局、ラジオ局のプロ野球記者として 5年以上に渡り、現場での取材を主に担当している記者。 球団の担当記者は、その球団が所属するリーグしか投票権がない。 地方の記者はプロ野球球団の本拠地がある地域の記者に限られ、 その球団が所属するリーグしか投票権がない。 (名古屋・広島の記者はセ・リーグのみ、福岡はパ・リーグのみ)
年度別リスト[S1]
入団5年以内、投手は通算30投球回数以下、打者は通算60打席数以下。 外国のプロ野球に所属していた選手は対象外。 年度別リスト[S2]
各ポジションで一人ずつ、ただし外野手はまとめて3人。 パ・リーグは指名打者も含む。
各ポジションで一人ずつ、ただし外野手はまとめて3人。 投手は規定投球回数以上投球しているか、チーム試合数の1/3以上登板していること。 他の野手はチーム試合数の1/2以上そのポジションの守備についていること。
投手の賞
年度別リスト[S11]
年度別リスト[S10]
年度別リスト[S14]
年度別リスト[S12] 2004年までは セーブポイント = (セーブ+救援勝利)
年度別リスト[S13] ホールドポイント = (ホールド+救援勝利)
以下の二つのケースのどちらかに該当すればその投手にホールドが一つ与えられます。 また、ホールドは一試合で二人以上の投手に与えられることがあります。 特に、シーソーゲームの場合、両方のチームの投手にホールドが与えられる こともあります。
共通する条件は、
(セーブシチュエーションについては[Q2-6]を参照)
(2-1) 登板中に自チームが得点しなかった場合
1996年から2004年まで、パ・リーグが中継ぎ投手の評価に使用していました。
(セーブシチュエーションについては[Q2-6]を参照)
(試合の最後まで投げ切った投手は除くのでセーブとは重複しない)
降板後にその走者が同点または逆転となる得点をしなかった。
1996年から2004年まで、セ・リーグが中継ぎ投手の評価に使用していました。
チームの勝敗に関係なく、交代完了してセーブや勝利を記録した投手を除く すべての救援投手に、以下のポイントを計算し、それを10で割った値を与えます。 結果がマイナスになる場合もあります。
チームが勝利: + アウト数 × 1.5 チームが敗戦: + アウト数 × 0.5 チームが引き分け: + アウト数 × 1.0
セーブがつく場面: + 3.0 同点の場面: + 2.0 1点ビハインドの場面: + 1.0
自責点の対象になる走者: + 走者数 × 1.0 その走者を得点させるとさらに: − 得点させた走者数 × 3.0 自責点の対象にならない走者: + 走者数 × 0.5 その走者を得点させるとさらに: − 得点させた走者数 × 1.5
自責点になる場合: − 失点 × 4.0 自責点にならない場合: − 失点 × 2.0
自責点の対象になる走者: − 走者数 × 2.0 自責点の対象にならない走者: − 走者数 × 1.0
勝利打点は、ある試合の決勝点([Q2-5]参照)が打者の打点によって記録された場合、 その打点を記録した打者に1つ記録されます。
決勝点が打点以外の要素で入った場合(暴投、捕逸、ボーク、失策、盗塁、 その他、打者に打点がつかない場合、[Q2-8]参照)は、 その試合の勝利打点は「なし」となります。
1981年から1988年までは公式記録の項目として採用されていましたが、 1989年に廃止されました。
廃止の理由は、勝利打点となる得点が、試合の展開によっては チームの勝利に効果的な得点だったとは言い難い場合が少なからずあり、 評価基準として疑問が残るためです。
公式記録だった期間には最多勝利打点のリーグ表彰もありました。 公式記録の項目から削除されると、公式表彰も廃止されました。
セ・リーグは勝利打点を公式記録とは別にカウントし、 最多勝利打点を非公式に表彰していましたが、 これも2000年限りで廃止されました。
全くの別人です。
規則で決まっているわけではありません。 北海道日本ハムが本拠地にする札幌ドームや、楽天が本拠地にする フルキャストスタジアム宮城は、三塁側がホームチームになります。 二軍では日本ハム(鎌ヶ谷)、ロッテ(浦和)、阪神(鳴尾浜)、広島(由宇)など 三塁側がホームの球場もあります。 大リーグでは三塁側がホームになっている球場が多くあります。
他の一軍で使用している本拠地球場では、一塁側ダッグアウトがホームチーム ばかりですが、こうなった理由ははっきりとはしていません。
玉木、ホワイティング著「ベースボールと野球道」(講談社現代新書)によれば、 日本がアメリカに視察に行った時の球場がたまたますべてホームが一塁側だっ たので、そう思い込んだという説が紹介されています。
臨時に三塁側をホームにした例:
一塁側中日、三塁側ヤクルト。 ダブルヘッダー第一試合は中日がホームチーム、第二試合はヤクルトがホームチーム。
ダイエーの本拠地球場でオリックスの主催試合。ダッグアウトは通常と同じ。 一塁側がビジターチームのダイエー、三塁側がホームチームのオリックス。
一軍選手(出場登録選手)は28人で、その中の25人がベンチ入りできます。 登録の当日にベンチ入りして試合に出場できます。
シリーズの出場有資格者40人を事前に決め、その中の25人がベンチ入りできます。